私が運転免許を取ったのは、大学2回生を控えた春休みのことだった。
本当は夏休みの間に取ってしまうつもりだったのだけど、なんだかんだで先延ばしにしてしまい、結局教習所を出るころには期限ぎりぎりの状態になっていたというわけだ。
本試験のために、明石市にある免許センターに向かう。着いたのはお昼前だったが、そこから予約をし、試験を待ち、受験して結果を待ち、さらに長い列を作って写真の順番を待ち・・・とやっていたら、帰るころにはすっかり夕方になってしまっていた。
財布には作ったばかりの免許証。ぼさぼさの髪によれた上着の私がぼんやりした表情で写っている。当日中に写真を撮ると最初からわかっていたらもう少しまともな格好をしていたかもしれない、と思う。
それから、鞄の中につぶれた菓子パンが二つ。すっかり昼食を食べ損ねてしまっていた。
ちょっと寄り道して帰ろう。私は明石駅でバスを降りると、改札口には向かわずにそのまま海岸線沿いの道を歩き出した。
まもなく、右手に砂浜が現れた。大蔵海岸だ。明石海峡大橋と、対岸の淡路島がよく見える。
夕暮れ時で、ちょうど雲の向こうに日が沈んでいくところだった。
見晴らしのいいベンチに腰掛ける。砂浜には人影一つなく、海岸全体が息をひそめるように静まり返っていた。
時折、寄せては返す波の音だけが響く。
私は鞄の菓子パンを取り出すと、袋を開けて噛りついた。口の中に広がる甘ったるいカスタードクリームの味に、ふと、昔のことを思い出した。
実はこの海岸には一度来たことがある。
高校3年生の春の遠足。私の学校では旅行委員という、生徒10人ほどで構成される委員会が、遠足を含めた旅行全般についての意思決定を担っていた。
修学旅行の行先も、自分たちで話し合って決める。こちらは例年通り北海道に決まった。遠足も同じ経緯で、毎年の定番であるこの海岸に落ち着いたというわけだ。
その日も、特に変わったことをしたわけではない。海水浴には早すぎたので、砂浜でスポーツ大会に興じたり、近所のショッピングセンターで仕入れた食材でバーベキューを楽しんだりした。
高校3年生といえば大半の生徒が受験生だ。考えてみるとその遠足が、学校の外で学校の友人たちと羽根を伸ばした最後の機会だったように思う。
もちろん体育祭や文化祭といった学内行事には精を出したけれど、遠足や修学旅行だけがもつあの非日常感にとって代わることはできないような気がする。
そんなことを思い浮かべながら、私は菓子パンをほおばった。
そういえば、高校生の頃は学校帰りに通学路のコンビニで毎日のように菓子パンを買っては、駅のベンチで食べていたのだっけ。
菓子パンはあの頃と同じ味がする。けれど、それを味わう私自身はもう、かつての私ではない。
たかだか一、二年前のことなのに、私はなんだか、ずいぶん遠くまで来てしまったような気がした。
小さいころ、私は「子供」と「大人」の間にははっきりした境界があって、人間はまるで蝶が羽化をするように、ある日突然「大人」になるものなのだと思っていた。
大人はいつも忙しそうだった。社員証だの、保険証だの、クレジットカードだのと、何枚ものカードを持ち歩いては、難しい手続きをしてお金を払い、あるいは複雑な仕事をしてお給料をもらっていた。
幼虫の自分には全く理解できない世界で、大人たちは何かのために頑張っていた。その何かもまた、羽化をすれば分かるようになるんだろうと私は想像していた。
そして今日、私は免許証を受け取った。これも立派なカードだ。これで難しい手続きができる。あるいは、車を運転して仕事場に行き、お給料をもらうこともできる。
では、何のために?
結局、それはわからないままだった。
何もわからないまま、私は面白みの欠片もない問題集の内容を頭に叩き込み、マークシートを塗りつぶし、長い列に並んで写真を撮って、免許証を受け取った。
これが、「大人になる」ってことなのかな。
私はなんとなく、そう思った。
知らない間に羽化をして、子供と大人の間にかかる橋を渡りきってしまった。
視線を上げると、対岸の淡路島はいつの間にか、闇の向こうに姿を消している。
二つめの菓子パンを食べ終えるころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
大蔵海岸の最寄りは、明石駅ではなく、その隣の朝霧駅という小さな駅だ。
島式ホームを歩道橋でそのまま一段高い地上改札につないだ無駄のないデザインが、私はけっこう好きだったりする。
疲れた足で階段を下り、猛スピードで通過していく特急車両を横目に見ながら、ホームのベンチで各停を待った。
思えば、「朝霧」というのもなんだか神秘的で、素敵な名前だ。
いつか、朝日が昇る前にここに来てみよう。
夜に浮かび上がったような駅のホームで、私は、そう心に決めた。
* * *
あれから、かれこれ三年が過ぎようとしている。
結局、朝の朝霧駅には行けずじまいになっていた。
けれど、あの日見た明石海峡大橋の姿は今でもはっきりと心に残っている。
その面影がある限り、私は何度でもあの場所に帰ることができるだろう。
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