2008年03月12日

2007年

この年の新入生歓迎公演「黄昏ボンド」は、実は1999年の「トリシンド」の再演。
なぜか阿部茂が「タイトルを変えよう」と言ったのでみんなで考えることに。
「インパクトのあるタイトルを」ということで、伊藤晃が提案した
「蒸☆プンテひょ〜ん」
それはあんまりだ、ということで「黄昏ひょ〜ん」から「黄昏ボン」
を経て「黄昏ボンド」にたどりついたのでした。
ちなみに「トリシンド」も「インパクトのあるタイトルを」と、
二つの言葉をつなげてインパクトのある言葉をつくろう、というところから、
「にわとりシンドバッド」それを短くして「トリシンド」になったのでした。

ついに30周年記念公演「麦藁バンド」もタイトルと内容は関係ありません。
「台本がなくて芝居ができない」という内容の芝居でした。
芝居の最後に「30年間応援いただきありがとうございます」という意味を込めて、
お客様全員に大福を配りました。
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2008年03月11日

2006年

第2劇場・2nd stageとして、第6回クラシック・ルネサンスに参加。
大正時代の戯曲を芸術創造館で上演しました。
アヴァンギャルド芸術、プロレタリア芸術と称される戯曲を戦隊ヒーローものとして演出。
色とりどりのヒーローが登場し、さらにバレリーナが舞い踊りました。

またこの年、霜康司が文化庁舞台芸術創作奨励賞佳作を受賞しました。
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2008年03月10日

2005年

この年、ウイングフィールドで上演された四夜原茂の作品「アベレージマン」は
当時、問題になった「オレオレ詐欺」をテーマにした社会風刺芝居。
学生服の役者がたくさん登場しました。47歳の阿部茂も学生服でした。

音間哲の作品「テトラ×テトラ」は、うっかり102回記念公演でした。
100回記念をやろうと、公演回数を数えてみると102回でした。
またこの芝居には2劇に珍しいラブシーンがありました。
ラブシーンを演じたのは私、伊藤晃です。忘れられない芝居です。
また、「テトラ×テトラ」のチラシは3種類あり、
各劇場に配られるチラシがだんだん変化するという一風変わった宣伝をしていました。
大阪大学に設置した立て看板も3種類作り、パラパラ漫画風にしました。
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2008年03月09日

2004年

ウイングフィールドで上演された「神様でタルタルソース」では
渡辺優が本番中に青山誠司とぶつかり、鼻血を出しました。
とっさに大東広志が芝居を止めて、お客さんからティッシュを貰い…
「ティッシュありませんか?」と言う呼びかけに、いっせいに鞄の中を探り出したお客様たちの姿が忘れられません。
また、神様は物語に関係ありますが、タルタルソースは全く関係ありません。
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2008年03月08日

2003年

音間哲作の「熊茶花薬店」、(「くまちゃかやくてん」と読みます)
前年の「チャムチャムドラッグ」に続く「薬」をテーマにした作品でした。
様々な登場人物が熊茶花薬店に通りかかる、という物語でしたが、
同年に上演された「正義は味方」(「まさよしはみかた」と読みます)
に登場する勤と勉がお葬式に向かう途中に通りかかる、という不思議な伏線もありました。

そしてラフレシア円形劇場祭に参加した「正義の存在」では
南港に設置された野外円形劇場に2階建ての家を建てました。
しかし、このとき6月にもかかわらず台風が上陸。
発砲スチロールでできた瓦が飛ばされないかと心配でしたが、幸い、被害は小さくすみました。

また、番外公演として上演された「kitchen」は大東広志の作家デビュー作品でした。
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2008年03月07日

2002年

大阪大学の豊中キャンパスにある学生会館で新入生歓迎公演として上演された
「センチメンタルドラッグ」はなんと四夜原茂と音間哲の共作。
二人がリレー形式で台本を書いていきました。
その公演を観て8名の新人が第2劇場に入団しました。

そしてこの年、第2劇場は25周年を迎えます。
25周年記念公演として「チャムチャムドラッグ」が上演されました。

また、この年、第2劇場のOGである河合とんかちが、阿藤智恵の名で
平成13年度文化庁舞台芸術創作奨励賞佳作を受賞しました。
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2008年03月06日

2001年

番外公演でしか上演されなかった音間哲の作品が
「人あたりのいい部屋」ではついに本公演に登場。
80年代後半から続いた「本公演の台本は四夜原」という不文律が途切れます。

同じく音間哲の作品、「人ごこちのいい車」はバスジャックの話。
同じバスに何人もバスジャックがいるという滅茶苦茶な話で、
出てくる役者はほとんど出ずっぱりという大変な芝居でした。

「人あたりのいい部屋」も「人ごこちのいい車」も後に再演されることになります。

カラビンカで上演された四夜原茂の作品「ボンボドス」では
お客様全員に主人公の日記を配りました。
しかし、配った日記の原稿を書いたのは音間哲。
三日で書き上げ、死にそうになったそうです。
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2008年03月05日

2000年

劇団内ユニット、南極寿による「Sleepless Sleeper」は
短いものまで含めて5本のオムニバス芝居でした…が実際には
座付き作家の音間哲はその倍ほどの本数の台本を書いたそうな。

そして「ドンゴラス」では伊丹のAI・HALLに本物の瓦を葺いて屋根を作りました。
瓦を購入し、劇団員たちが一枚一枚組んでいたのですが、
それを見ていた「関西瓦センター」の瓦職人の方が「見ていられない」と、
代わりに瓦を葺いてくれました。
社長が電話で瓦職人を現場に集め、あっという間に舞台は完成。
お礼とお弁当をご用意したのですが、「いらないよ。これから飲みにいくから」
と、帰って行く職人さん達の後ろ姿に劇団員達の目はハートになりました。
ラストシーンでは10万枚の一円玉を降らせ、とてもきれいでした。
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2008年03月03日

1999年

この年に上演された「トリシンド」は大東広志ら7名の新人による新人公演。
ゴキブリや半魚人の着ぐるみが登場しました。
また、中学3年生の受験生役を演じた川上立は当時、本当に中学3年生でした。

扇町ミュージアムスクエアで上演された「ひやしんど」ではうら若き乙女たちが
スクール水着を着せられておりました。
作者・四夜原茂の趣味が疑われました。

「HALFBITTER STREET すべてのハードボイルドのために」は
再演博参加作品でありながら、ほぼ新作という
他人と同じことが出来ない劇団の性質を赤裸々にさらした公演でした。
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2008年03月02日

1998年

この年に上演された、三人娘(佐々木寛子、牧野美恵、栗園香)による、
「三にんサーカス」は音間哲が脚本と演出を担当していました。
しかし、このころ音間哲は塾講師をしていて、かなり多忙だったとか。

ウイングフィールドで上演された「カエルノモリ」では、第2劇場の伝統芸の一つ、
可動式の舞台が作られました。
ラストシーン、一瞬にして舞台に現れる一面の草原は圧巻でした。
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2008年03月01日

1997年

「騙された −SYSTEM DOWN−」の再演で東京・駒場のこまばアゴラ劇場で開催された、
第9回大世紀末演劇展に参加。
続く「やってもた −LONG GOODBYE−」を扇町ミュージアムスクエアで上演し、
「むつみときよし」シリーズは完結しました。
また、この「やってもた」は第2劇場旗揚げ20周年記念公演の第1弾でした。
第2弾は「フーテンの灯」の再演。
舞台上ですき焼きを作り、心斎橋のウイングフィールドをすき焼きの匂いで満たしました。
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2008年02月29日

1996年

この年に上演されたのは、「むつみときよし」シリーズの
「流された −OVERFLOW−」と「騙された −SYSTEM DOWN−」。
フーテンシリーズが終わったにもかかわらず、フーとテンが登場しました。

大阪大学のまちかね祭で上演された音間哲、作・演出の「テーブル・ママー」は、
正木喜勝、山田智之、伏脇祐介の新人公演でした。
「テーブル・ママー」のチラシは佐々木寛子が描き下ろした傑作…になるはずが
印刷直前に正木が下絵を紛失。一晩で正木がでっち上げたひょろい絵に変更になりました。
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2008年02月28日

1995年

フーとテンが舞台上を自在に駆け回るフーテンシリーズ、
「フーテンチョップ」と「幸福の赤い紙フーテン」を上演しました。
「フーテンチョップ」ではラストシーン、主役の横山秀信が星空を見上げるシーンで、
客席の上にも星がちりばめてあり、とてもきれいでした。
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2008年02月27日

1994年

この年は1年間で1本しか公演を打っていません。
ウイングフィールドで行われた「フーテンの灯」です。
小早内シリーズ3部作+番外編のHOTSPOTなど、計6本の本公演を1年半で駆け抜け、疲れ果てた結果です。
しかし、この芝居で2劇の名物キャラクター、フーとテンが誕生しました。
大地震が起き、登場人物が地下鉄の駅に閉じ込められる話。
その翌年の1995年、阪神大震災があり、とても驚きました。
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2008年02月26日

1993年

この年にも東京で公演を行いました。
こまばアゴラ劇場での第5回大世紀末演劇展参加公演、
「小早内俊頼37才のひそかな苦しみ」です。
現在はお茶祭り企画で活躍する川島むーが、本番直前に飛び降り(約2メートル)の練習をして失敗。
足首捻挫で開場・開演を遅らせました。
すばやく川島以外を全員楽屋に退去させ、動揺する彼女を落ち着かせ、
段取りの変更を決めていった時の阿部茂は、それはそれは座長らしかったのでございました。
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2008年02月25日

1992年

この年もなんと、1年で4回の公演を行っております。
梅田のカラビンカで行われた「小早内俊頼37才のひそかな楽しみA」。
心斎橋のウイングフィールドで 「小早内俊頼37才のひそかな犯罪B」。
梅田のオレンジルームで開かれた第4回上岡演劇祭参加公演の
「小早内俊頼37才のひそかな楽しみA」再演。
ちなみにオレンジルームは阪急ファイブというビルの最上階にありました。
現在は改装、改名されてHEP FIVE、その最上階にHEP HALLがあります。
そしてウイングフィールドでの「小早内俊頼37才のひそかな苦しみC」。

「小早内俊頼37才のひそかな楽しみA」が行われた梅田のカラビンカは
最大収容人数が40名ほどの小さな劇場。
当然、客席は満員御礼で入りきらないほど。
役者が全員舞台に出ているシーンで突然、舞台上手のパネルが揺れ始めました。
何事?と見るうちに、カッターナイフがザクッ!
…あふれてしまったお客様のために、座長が覗き窓をこさえていたのでした…。

この頃なぜか、舞台装置の搬入・搬出の際に雨が降ることが多く、
きっとこれは雨男が…という話題から、当時新人だった竹内大右が
その汚名を着せられることになりました。
しかし、その後、真の雨男が第2劇場に現れます。
現在、舞台美術・役者を担当する三宅直です。
彼が合宿に参加すると必ず雨が降ります。その確率は100%。
まさにキング・オブ・雨男です。
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2007年08月25日

1991年

伊丹のAI・HALL、東京のこまばアゴラ劇場で上演した『伝導犬ヨタ』(作:四夜原茂)。
イントレで円形劇場を作り、約3トンの砂を一面に敷きつめるという大がかりな舞台!!
始まってから途中まで、延々と壁に張り付いた状態で舞台上にいる役があったり、
舞台奥で流れ続ける砂を補給するためだけに、本番中ずーっと裏に缶詰状態のスタッフがいたりと、
かなりヘビーな役者、スタッフもいた様子。

そして、就職して東京に行ってしまった青山さんは、
気合いと根性で毎週末、新幹線で大阪の稽古に参加していました!
船に乗ってカンツォーネを歌う役だったのですが、
近くの公園でボートを漕ぎながら声を出していたら、おまわりさんに職務質問をされたりしたとか。
東京公演本番が終わって、月曜日にホールから「行ってきます!」と言って出社したそうです・・・。

円形舞台の周囲の「ゲル」を客席にしていた『HALFBITTER STREET』(作:四夜原茂)。(伊丹のAI・HALLにて)
たった5分ほどの出番、しかも舞台美術さんの趣味で書き加えられた、作家ノータッチのシーンのため、
坊主頭になった女優が約一名。当時、彼女は高校の先生でした・・・。
というのは、現在お茶祭り企画で活躍中の川島さんのお話!

ちなみに、梅田のカラビンカで上演した番外公演『RADIO ALIEN』は、音間のデビュー作!
そう、現在四夜原とともに座付き作家として活躍中の音間哲ですね。
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2007年08月23日

1990年

この年は、大阪大学内とカラビンカ(梅田)にて番外公演を三回、本公演を二回行いました。

なんといっても初の東京公演!『DECADENCE2』(作:四夜原茂)ですね。
こまばアゴラ劇場にて、大世紀末演劇展に参加した作品でした。
舞台装置は地球に見立てた大きなタンス。
みんなでホールに泊まって、銭湯に行ったりしていたとか。
ちなみにこのタイトル、「でっかいタンス」だけではなく、
フランス語の「退廃的な」という意味もかけていたらしい!?

次の本公演は、梅田のオレンジルームで上演した『WOLFEN−人狼−』(作:四夜原茂)。
舞台装置が非常にシンプルで、正面から斜めに断ち切るように幕が下がっているというものでしたが、
照明が入るととっても美しかったそうです。

そして忘れてならないのが、オーダーメイドの特大チュチュを着て舞台に登場したり、
詳しくは書けませんが(!?)、現在も八面六臂の大活躍を続ける冨田さんの入団。
2劇での初舞台はOL役だったそう・・・。
(男性ですよ。念のため。)
この年に入団した新人は、冨田さんによる2劇処女作『卵産人』で新人公演を行いました!
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2007年08月21日

1989年

この年は、カラビンカ(梅田)と大阪大学内にて番外公演、本公演を二本行っています。

オレンジルーム(梅田)での『DECADENCE』(作:四夜原茂)の舞台装置は、
樹脂で作る大掛かりなものでした。
薬剤を一気に混ぜすぎて、やばいガスが大量発生!
「撤退!」の号令のもと、全員で屋外避難。
なーんてこともあったとか。

セットも大変でしたが、チラシも大変だった『DECADENCE』。
厚紙でできたチラシを観音開きに折ってタンス状にするというもので、
腱鞘炎になるかと思ったという証言も。

実はこの変わったタイトル。
タンスと環境問題というお題のもと、タイトルを決める会議を開いていたところ、
現在、お茶祭り企画で活躍中の川島さんが、
「でっかいタンス♪DECADENCE♪」と歌って決まったそうです!
いつも変わったタイトルを冠した2劇のお芝居。
本当のところ、こんな調子で決まっています・・・。

AI・HALL(伊丹)で上演した『HOT SPOT』(作:四夜原茂)では、
決まったサイコロの目が出ないと先に進めない、という丁半ばくちのシーンがありました。
しかもそのサイコロは、役者が演じるサイコロ男。
意外にも本番ではすんなり決着したそうですが、
稽古ではなかなか決まった目が出ず、サイコロ役者も大変だったそう。

それから会社のシーンでは、ある男優が女装してOL姿で登場。
にもかかわらず、全く違和感なく溶け込んでいて、
「いい女優さんが入ったね」なんて言われていたとか。
ええ。役者としては大変な褒め言葉ですよね!!
posted by 第2劇場 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2劇場の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月18日

1988年

1988年は、大阪で三本の公演を行いました。
この年の公演は、さまざまな事件が起こったことによって、劇団員の記憶に深く刻まれています・・・。

天満橋の都住創センター(天満橋)にて上演した『PILOT PLANT』(作:四夜原茂)は、
現在活躍中の青山さんが今も忘れられない公演のひとつだそう。
初日の冒頭シーン、三人組で颯爽と登場!
・・・のはずが、そのうち一人がいきなり「すみません、台詞忘れました」と白状。
さらに二度目の登場では、青山さんが「テレビ局に行こう」という台詞をどうしても思い出せず、
なぜか「喫茶店に行こう」と口走った!
その時、残された一人の目が本当に怒っていたそうです・・・。

それから、ワンピースに一万円札をたくさん貼り付けた衣装があったのもこの公演。
お金持ちを表現するには万札を貼る!
非常に分かりやすいというか何と言うか・・・。
実に2劇らしい衣装ですね。

扇町ミュージアムスクエアでの『ハッスルヒロリン危機一髪』(作:四夜原茂)は立身出世劇場さんとの合同公演。
日本の神話をモチーフに、劇場の柱に杉皮を巻き、さらに注連縄を巻き、御神木に見立てるという舞台でした。
芝居のテーマに関わるある要因によって、大きな物議を醸したこの作品。
お客様に配る当日パンフレットでも、ホールの方と揉めたとか。
結局、黒塗りするという結論に落ち着いたようですが・・・。

そしてさらなる事件が、千秋楽の本番中に勃発してしまいました。
ある役者が牛乳瓶で手のひらを負傷!
あまりの出血具合に、白い布で止血しては痛々しすぎるとの判断から、赤い布で止血。
現役看護師の劇団員に応急処置を施されつつ舞台を務め、終演後に病院へ急行し、数針縫ったそうです。
いやあー、ほんとに怖いエピソードですね。気をつけます・・・。
ちなみに、流血を目の当たりにした血に弱い役者がなんと舞台上で失神。
失神しつつ(他の人によると)最後まで芝居をしたらしいです。

演劇ぶっくに写真入りで掲載されて「よくできたエンディング!」と評価されたラスト。
実はそんなシーン、阿部の書いた台本にはなかったというのはここだけの秘密です。
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