2007年08月12日

1987年

この年はなんと、新作『Monkey Paradise』を引っさげて、大阪(オレンジルーム)・名古屋(七つ寺共同スタジオ)・京都(アートスペース無門館)の三都市公演を敢行!
エイズに関するお芝居だったのですが、ほとんどのお客様には伝わっていなかったらしく、ちょっと先を歩きすぎたか!?との反省も。

名古屋では、阿部さんが「1足す3は十三(じゅうそう)」というギャグを一生懸命言っていたとか。
ギャグなのか何なのかすらよく分かりませんね・・・。
そして京都では、街頭でビラを貼っていた劇団員2人が、警察に任意同行を求められるという出来事が!!
某署でカツ丼をごちになりながら、
「どんな芝居だ?政治的な主張はなんだ?」と聞かれて
「お笑いで~す」と情けない返事をして釈放されたらしいです。

11月に自由空間(梅田)で上演した『HALFBITTER STREET』では、
立身出世劇場を立ち上げる関さんと阪本さんを客演にお迎えし、珍しくハードボイルドなお話をお届けしました。
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2007年08月05日

1986年

この年も、一年で5本というかなりのスケジュールで公演を打っています。

『Spa Eggs』(作:四夜原茂)では、2劇初の旅公演で名古屋の七つ寺共同スタジオへ進出!
「なんで名古屋なんですか?」と聞いたら、
「東京にも行きたいが、遠いのでとりあえず・・・」ということだったとか。

11月には、木津川の渡しの船着場でテント公演を敢行!
2劇の看板役者の一人として現在活躍中の青山さんの初舞台がこれ。
しかし、なんで11月の寒空の下でテント公演だったんでしょうか。
客席は本当に寒かったようで、もう二度と来るまい!!
と現在まで2劇を支え続ける北本さんは、客席で心に誓っていたそうです・・・。
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2007年08月01日

1985年

この年には大阪大学内で二作、ピッコロシアター・オレンジルーム・島之内小劇場でそれぞれ一作ずつ上演しています。

ピッコロシアターで上演した『WOLFEN-人狼-』(作:四夜原茂)では、
阪大の裏山から大道具用の大木数本を切り出し、会場まで運びました。
なかなか大胆!今だと怒られちゃいそうですね。
初日の朝、舞台上では大木と一緒に待兼山からやってきたカエルやイモ虫がもぞもぞしていたそうな。

そして『麦藁バンド』のチラシにも掲載しましたが、
主演女優のセーラー服のスカートが、本番中なぜかすとんと落ちたそうです。
ほんと、生の芝居では何が起こるか分かりません・・・。

ちなみにこの『WOLFEN』では立身出世劇場でも上演されました。
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2007年07月29日

1984年

この年は2劇史上に残る大量入団がありました。
なんと21人!!
えらいことですね。とても一部屋で稽古できそうにありません。
そして、大量に入った新人によって行われたこの年の新人公演。
そのチラシはいまだに大阪大学の大集会室に貼られています。
ちなみに、そのイラストを描いたのは粟根まことさん。

今はなきスタジオアルバトロス(大阪・京橋)で上演した「イエローケーキ」(作:四夜原茂)では、
大量のインスタントラーメンの袋をセットに使ったそうです。
とりあえず何でもいっぱい並べてみるべし!という2劇的発想は、
この頃からあったんですね・・・。
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2007年07月23日

1983年

おひさしぶりです、桂久美子です。
1983年には、梅田のオレンジルームで上演した『碧星序説』で、
四夜原茂が第1回キャビン戯曲賞準入選を果たしました!
実はこの年は私が生まれた年でもあります。
自分が生まれる前から芝居を連綿とやり続けてきている。
すごいですね。
30年という歴史の長さを改めて感じます。
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2007年07月19日

1982年

兵庫県尼崎のピッコロシアターで「寿歌」(作:北村想)を上演しています。
舞台で使うリアカーに、公演道具全部と麻雀パイを積んで、
阪大からピッコロまで車が少ない深夜に5時間かけて(!!)人力で引いていく…という無茶を決行してました。
もちろん帰りもリアカー!
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2007年07月06日

1981年

学内で2回、学外で3回、合計5回も公演をしています。

夕方に大学へ行って稽古して、作業して、朝家に帰る。
この頃の劇団員の生活は、普通の学生さんたちと真逆の生活だったようです。
(公演が年に5回の生活って、想像つきません!)

この年、(現)舞台監督である林直樹が入団しています。
後に「2劇のおかあちゃん」と呼ばれることになろうとは、
そのときの林さんは想像してなかったんだろうなぁ…。
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2007年06月03日

1980年

そして80年代。第2劇場は阪大を出ます。
尼崎にあるピッコロシアターの中ホールでの公演を2回行っています。
それまでは手作りの照明セットだったのが、このピッコロシアターで
はじめて調光卓を使いました。
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2007年05月30日

1979年

70年代最後のこの年、三回の公演を行っています。
清水邦生や別役実の戯曲をやっていました。
やっぱり阪大の学生会館を使っています。
なんと捨てられていた軽自動車を学生会館に運びこんだそうな。
どうやって入れたんだろう。めちゃくちゃですね。
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2007年05月29日

1978年

伊藤晃です。
1978年、阪大医療短大の演劇部との合同公演を行いました。
大阪大学医療技術短期大学部は今の大阪大学医学部保健学科の前身。
その後、阪大医療短大の学生が第2劇場に入ったこともありました。
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2007年05月27日

1977年

30周年だから!第2劇場の歴史を少しずつ紹介してみようという企画。
伊藤晃です。
私、1982年生まれで、第2劇場には2002年に入団しております。
従って第2劇場のことなんて、ほんの最近のことしかわかりませんが、
せっかく30周年なのでこれを機に色々知っておこうと思います。

第2劇場が旗揚げしたのは1977年のことです。
大阪大学の人間科学部の学生を中心に結成されました。
当時、大阪大学にあった劇団は幻視行というテント劇団と
せせくらせという人形劇団がありました。
幻視行は今はありませんが、人形劇団せせくらせは今も阪大で活動しています。
ちなみに第2劇場は大阪大学文化会演劇部という別称も持っています。

旗揚げ公演は別役実の戯曲を大阪大学学生会館大集会室でやりました。
今も阪大の劇団が公演を打つ大集会室ですが、このころは照明機材が無く、
手作りの照明機材を使っていました。

第2劇場という名前の由来は「幻視行に次ぐ第2の劇団」とか「同志社大学に第三劇場があるから」とか
色々な説がありますが、真相はわかりません。
本当は「第」は略字の「第」で書くのですが、どうやっても変換されないので仕方なく「第」を使っています。
劇団員もこの「第」には難儀しています。
略字じゃなかったらよかったのに、と思うこともあります。
posted by 㐧2劇場 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2劇場の歴史 | 更新情報をチェックする