2022年04月16日

【2劇ラジオ】第8回「㐧2劇場」

2年ぶりの配信となりました2劇ラジオ、今回は座長の阿部茂にインタビューしてみました。

再生はこちら↓


https://anchor.fm/dai2gekijo/episodes/82-e1h8750/a-a7osedj

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2022年04月15日

東尋坊

どうも皆さん初めまして、㐧2劇場の早川です。近年は自分が主宰する賞味期限切れの少女の活動の方に勤しんでおり、中々2ゲキと関わる機会も少なく、誰なんお前状態かと思います。もう誰なんお前で大丈夫です。
さて、思い出の駅というお題を頂いて今回このブログを書いているわけですが、思い出の駅って難しいですね。ぱって浮かんできたのは実家の最寄駅なんですが、下手に地元のことを書くわけにもいかないし。かといって梅田駅とか石橋阪大前駅じゃ面白みも無いだろうし。どうしたものでしょう。
このまま思い出の駅なんてありませんで通そうかとも思ったんですが、なんだかルールを破っているようで申し訳なく思ったので、あえてここでは思い出のバス停について語ろうと思います。東尋坊、についてです。
東尋坊っていったら私はまず第一に自殺スポットを想起するんですが、サスペンスドラマの犯人を崖に追い込むシーンを思い起こす人も当然いるでしょう。実際行ってみるとこんなギリギリまでいけちゃうんだとか、高いとは思ってたけど本当高いわとかまあこんな感じの言葉が出てくるかと思います。(あっさりさせているけど、本当にいいところだし機会あれば是非行ってみて欲しい、おすすめです。)でも第一に出て来たのは、東尋坊めっ、ちゃ観光地やん、でした。
お土産屋さん、海産物屋さん、ソフトクリーム屋さんが所狭しと立ち並んでいて、とにかく賑やか。子供も多く、家族旅行にさえも組み入れられるような観光名所なのね…と衝撃を受けました。
正直、もっと寂しいところだと思っていたので、こんなところで死ねないな〜って思ってしまいました。この地域の行政の狙い通りなんだろうけど。そりゃ自分の管轄地域でそんなポンポン死人が出てたらたまらないよな。わかる、すごくわかるしとても正しいことなんだと思う。だけどなんだかなあという思いはどうしても残ってしまう。
東尋坊で死にたかった人たちはどこに行ったんだろうな。もっと寂しい、誰にも見つからないようなずっとずっと奥地に行ったのかな。どうにもできなくて途方に暮れて、訳もわからないままふっと線を超えてしまった人はいないだろうか。
片道切符だなんていいますが、帰りの切符を買えば立派な往復切符になるわけだし。よーし帰るかって思える場所があれば勝手に帰って来るのにね。
ふらっと逃げるが出来なくなって、行き先ばかりどんどん険しくなっちゃって。そのくせ気付いたら掌に収まってるんです。本当に困ったものですね。
ところで皆さん、東尋坊等福井県の様々な場所に行ける乗り放題バスがあるのをご存知ですか?京福バスっていうんですけど。超絶お得なので福井訪れた際はバスで移動するのをオススメします!あと胡麻豆腐がありえないくらい美味しいから食べて欲しい!世の中には私の知らない幸せがまだまだいっぱいあるのだなと思いました!素敵いっぱい!幸せいっぱい!それでは皆さん、良い福井ライフを!
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2022年04月14日

ホフ中央駅(Hof Hauptbahnhof)

折に触れて夢に見る駅がある。それはホフ中央駅(Hof Hauptbahnhof)だ。
 その駅を僕が訪れたのは2017年の春先で、その頃僕はドイツに一年間の留学をしていた。なぜその駅を訪れたのかはっきりとは覚えていない。ドレスデンにコンサートに聴きに行くのだったか、ライプツィヒに住んでいる友人に会いに行くのだったかそんな用事があって、その中継駅がホフ中央駅だったのだと思う。その頃お金は無かったけれど、とにかく時間はあった。留学中、一週間にとっている授業の数はせいぜい片手で数えられる程度で、週末は鈍行の列車や夜行バスに乗って友人と一緒にドイツ国内を旅行したり、フランスやオーストリアといった隣国を訪れたりした。その頃は今のようにパンデミックでもなければ、イギリスがEUを離脱することもなかった。シェンゲン協定があって、人と人の移動が制限されていなくて、簡単に国境を越えていけた。
 僕は友人のKくんとよく一緒に旅行した。Kくんは同じ大学から留学していた留学生仲間で、大学に入った時に最初に仲良くなった友人だった。
 その列車を見つけてきたのはKくんだったんじゃないかと思う。「ホフ中央駅経由東ドイツ行き25ユーロ」。僕たちの留学していた町は西南ドイツにあって、東ドイツに行くにはかなりお金がかかった。25ユーロ、3000円程度で行けるというのは破格の値段だった。「それにしよう!」即決だった。
 その日、僕たちは深夜のホフ中央駅で降ろされた。深夜1時30分ホフ中央駅着、明朝4時45分発。破格の切符は深夜のトランジット便だったのだ。もちろんチケットを買うときに分かっていたのだけど、いざ深夜に見たことも聞いたことない駅に降ろされると何をすればいいのか分からなかった。
「降りたはええけど、列車来るまでやることないな」僕とKくんは黙ってしばらくホームのベンチ座っていた。でも吹きさらしの駅だったので、構内は春の夜風でとても寒かった。することもなく、冷えた体を暖めたかったので、僕たちは一度駅を出て、町を歩いてみることにした(ドイツには日本でいうところの改札機は無いので自由に駅を出ることができる)。
 一応中央駅というくらいなのだから、それなりに大きな駅ではあるのだが、外に出ると何も無かった。だだっ広い車道があって、住宅地が広がっているだけで、その他には特筆するようなものは無かった。中継駅という言葉が似あうような地方都市の駅前だった。ぽつぽつと街灯が立っている以外は真っ暗で、星がとても綺麗に見えた。異国の地で見る星はやけに光がまぶしい気がして、見たことがない星々が浮かんでいるみたいだった。同じ北半球で日本と対して変わらない緯度にあって、見える星にそれほど大きな違いがあるなんてことないのだけど、それでも何だか違って見えた。
 遠くから水の流れるような音がして、僕らはそちらに向かった。住宅街を少し抜けた先に少し草地になったようなところがあって、湖があった。
「こんなところに湖があるんやな」と二人して驚いた。深夜の湖はやけに黒々していて、何か得体のしれない物体みたいにみえた。でも水面に夜空の星々が浮かんでいて綺麗だった。
「なんかあそこにやけに光っている建物があらへん?」Kくんが言うと、確かに道の遥か遠くの方に、明るい光を漏らしている建物のようなものがあった。
「あてもないからそこまで歩いてみよか」僕らはだだっ広い国道を歩き始めた。
 道は本当に静かで、深夜の町には人っこ一人通らなかった。僕たちが一体何をしゃべっていたのか全く思い出せない。とにかく笑っていて、何か楽しかったのだけは覚えている。光が近づくにつれ、僕らの声も大きくなった。
 光の正体は巨大な無人のガソリンスタンドだった。深夜のロードサイドのガソリンスタンドは遠くからも分かるように煌々と光を放っていたのだった。ガソリンスタンドの横には小さなスーパーがあった。スーパーは照明を落としていて真っ暗だった。
「あっ、ここWi-Fi入る!」Kくんが突然叫んだ。無人のスーパーは閉店後も変わらずWi-Fiを飛ばしているようだった。
Wi-Fiを使ってGoogleマップを確認してみると、いつの間にか数キロくらい歩いていたようで、駅から遠く離れていた。
「案外遠くまできたんやなあ」僕がしみじみと言うと、Kくんはせやなあと相づちを打った。僕らは何をするでもなくしばらくの間、スーパーの壁にもたれてWi-Fiでインターネットを見ていた。
「……ところでさ、ホフ(Hof)ってどういう意味なん?」突然気になった僕はふとK君に訊ねてみた。
「中庭っていう意味やな」Kくんはそう答えると、携帯に入った辞書のアプリを開いた。「(壁や塀で囲まれ、しばしば舗装されてる建物・公共施設などの)中庭」と出てきた。
 僕たちは妙に納得してしまった。だだっ広い道があって、見上げると星空があって、世界から切り離されたような町。確かに中庭みたいな町だなと思った。
僕たちはガソリンスタンドを後にしてさらに道なりに歩いて行った。それからどこをどう歩いて行ったのか知らないけれど、ぐるぐると町を回っていたみたいで、気がつくとまた元の駅前近くまで戻っていた。その頃には空も白んでいて、朝の気配が漂っていた。
「あっ、さっきの湖!」朝日を浴びて、いつの間にかさっきまで黒々としていた湖が姿を現していた。真っ暗で奥行きが分からず黒々と揺れていた水の塊は、よく見ると向こう岸が見えて、湖というにはあまりに小さかった。ちょっと大きなため池といったところだった(実際そんなところに湖があるはずないので、生活用水の貯水池だったのだと思う)。すっかり拍子抜けし、湖だといって大はしゃぎしていた自分達がなんだか気恥ずかしくなって、二人して笑った。
ホームに戻ってしばらく座って待っていると白んだ空気の中で列車がやってきた。列車に乗って座席に座ると、さっきまで歩いていた疲れと一夜を明かした眠気がどっと出て、そのまま眠りに落ちた。目を覚ました頃には目的地に着いていた。

 ただそれだけの、何の変哲もない深夜のトランジット駅がホフ中央駅だった。
それなのに折に触れてホフ中央駅のことを夢に見る。
 わずかな街灯が灯る、星空の美しい、庭みたいな地方都市のロードサイドを笑いながらKくんと歩く。特段何が起こるわけでもなく、そのまま朝を迎える。
そんな夢を時々見る。
 去年の年の暮れ、Kくんと会うことがあった。お互いに働き始めて、コロナもあって、かなり久々の再会だった。色々と近況を話したり、思い出話に花を咲かせたりした。思い出話の流れからだったか、ホフ中央駅の夢を見るという話をKくんにしてみた。
「ホフ中央駅、懐かしい響きやなあ。……俺もな、実は時々夢に見るねん。何も無い駅やったし、大した思い出でもないねんけどなあ」 僕はとても驚いた。そんなつまらない夢をみるなんて、というちょっとした笑い話のつもりだったのだが、Kくんも同じような夢を見ていたのだ!
「どこに行くためのトランジットやったかも分らんし、他にも印象深い場所はあったやろうに、夢に見るのは案外そんな駅なんやなあ」そう言ってKくんは笑い、僕も笑った。
 それからKくんと留学時代の思い出話に花を咲かせた。そして話をしながら、これからの人生の中でホフ中央駅に行くことはもう二度とないのだろうなと思った。もし何かの偶然で行くことがあったとしても、僕たちが訪れた深夜の庭みたいなホフ中央駅はもうどこにもないのだろう。思えばその時も、帰りはホフ中央駅に降りることはなかった。目的地に着いて、そこからまた別の町を経由して下宿先の町に帰ったのだと思う。ホフ中央駅への切符ははじめから片道切符だったのだ。
ホフ中央駅は僕たちにとってただの中継駅に過ぎなかった。中継駅はどこか目的地に辿り着くために、ただ通り過ぎていくためだけに存在する。でもどうやら中継駅には中継駅なりの美しさもあるらしい。そんなことに気づいてしまったからだろうか。今でもやっぱりホフ中央駅のことを時々夢に見る。
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2022年04月13日

上野駅

こんにちは、今年でニゲキ10年目の宮前です。

新歓公演『電鉄』にちなんで、思い出の駅/路線について書いてほしいと頼まれたので書きます。
とはいえ僕は生まれは石川県(車社会)で、大阪に来るまでは駅自体あまり馴染みがありませんでしたし、大学以降もこれといった駅にまつわる思い出を想起できません、

ので、
ごく最近のことを書きます。
時は最近の12/25、世間ではクリスマス。(今思えば第6波の直前)
数ヶ月ぶりの連休を引っ提げて、東京へ弾丸観劇一人旅に来ていました。
その日は当日券で2本劇を観て、安い宿のある上野駅に降り立ちました。
家族LINEに浅草の雷門の写真を貼って、宿について「さあゆっくり休もう!」と思ったその時、

テテテ、テテテ、テテ、テテテテ♪
(LINE電話の着信音)

誰かと思えば二つ上の姉である。
姉は東京に住んでいて、家族LINEを見るやいなや連絡してきたのだ。
姉とは仲が悪くもないが対してよくもない。
(さっきまで「ですます調」だった文章が、姉の登場と共に「である調」になっていることからも察していただけるだろう。)
なぜなら酒に弱いからだ。いままで、お酒によって姉から受けた迷惑は枚挙にいとまがない。
書きたいが全て伏字になってしまう。(ex)夜中に⚫️⚫️⚫️。弟の下宿で⚫️⚫️⚫️。等)

「じゃあ上野駅前、〇〇時で!」

と秒で約束が取り付けられ、クリスマスに上野で姉と飲むことに。
街も店もカップルで溢れかえっていた。
登場した姉は既に酔っ払っていた。
僕はこの人とカップルだと思われたくないので、
「注文お願いします。これとこれで。あと僕ら姉弟(きょうだい)なんですよー。」
と注文に併せて店員さんに必死にジャブを打っていた。

結局大した話はしないまま飲み進める内に、姉が同じ話を5回くらいし始めたので、解散することになった。姉の奢りで。
上野駅の改札、ふらつきながら去っていく姉を見送っていく。。。

この話にはオチがない。
特におもしろくもない。
なぜか。
なぜなら序章だからである。

母はよく言う。
「姉弟助け合って生きなさい。親は先にいなくなってしまうのだから。」
そんなこと言われても、、、と思うが、たしかにその通りだ。
20代の僕には残りの人生まだ50年か60年くらいはあるだろう。

さて、僕はこの姉とどんな50年、60年を送るのだろう。
この酔っぱらいの姉と。
陽気でおしゃべりな姉と。
博識でアウトドアな姉と。
序章を終え、どんな本章に入っていくのだろうか。。。

この続編は10年後くらいに。
では、
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2022年04月12日

新開地駅

6年前の春。
阪急電車の中。
いつも隣座席を気にして、隣に人が座るたび、「自分なんかの隣の席にも座ってくれる人がいるのか……」と感じていた、自己肯定感の低い私。

そんな私も、いつしか隣座席の人の有無など気にせず、電車内で睡眠を確保するようになり。
こんなふうに、大学院を修了し関西を離れたにもかかわらず、サークルのブログにまで顔を出すようなたくましさ(ふてぶてしさ?)を手に入れました。
どうも。新社会人になりました、寺井です。

私が通学で使っていたのは「新開地」という駅だったのですが、阪急神戸線で始発の駅なので、朝は基本的に座って通学できたんですね。
それを良いことに、アラームだけかけて堂々とすやすや眠り、ときに寝過ごしそうになり……。
これを読んでいる新入生の皆様も、適度なたくましさは身につけつつ、どうぞ寝過ごしにはお気をつけください。

さて、そんな新開地、演劇ファンの方ならKAVC(かぶっく)という施設があることでご存知かもしれません。
私も一度、好きな劇団の俳優さんがKAVCで上演される舞台に出ると聞き、見に行ったことがあります。
上演後、その俳優さんが新開地の町を歩く姿を見かけ、自分のよく知る町をその人が歩いているという現実に、何だか不思議な気持ちになった記憶があります。

新開地の町で、自分がひっそり好きだったのが、ラウンドワンの建物です。
カラフルでちょっとレトロなテナント、調べてみると昔「聚楽館(しゅうらくかん)」という劇場があった場所に建てられた建物で、デザインにもその名前が反映されているらしいですね。
ですが先日見ると、ラウンドワンからパチンコ店になっており、宣伝広告がチカチカと輝いていました。
ちょっと寂しい気もしますが、形を変えながらでも、沢山の人に利用してもらうのが一番なのかもしれませんね。
カラフルな壁面はそのままなので、KAVCを訪れる際にでも、ぜひ見てみてください。
それでは。
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2022年04月10日

蛍池駅

どうも4年目の岸川丈流でございます.思い出の駅・路線とのことですが,これまで2?年間生きてきて日常的に鉄道というものを利用したことがありません.だから高校の頃は電車通学の奴らには少し憧れがありました.だって,なんか,青春って感じがしません??部活終わった後,集団で団子になりながら自転車漕いで駅まで行って,電車来るまで時間あるからってどっかでダベったりとか,電車の中で「じゃあ,また明日な」とか言って駅のホームに消えていく背中を眺めながら電車も走り出すとか,もう青春じゃないですか!僕は高校から駅とは逆方向に自転車で10分のとこに住んでいたので,同じ方向に帰るのは同じ中学の奴らだけ.そんなエモい青春はなかった….
 そんな僕に初めてできたちゃんと使う「最寄り駅」が「阪急電鉄 宝塚線 蛍池駅」.なんというか,少し感動しましたね.「ああ,都会に住んでるっ…!」って感じがしました.もう2?歳なのでエモい青春はもう訪れませんが,「最寄り駅どこ?」って質問に堂々と答えられたり,「おっと,電車の時間が」とかって言えちゃうんですよ?カッコよくないですか?そんな蛍池駅くんとこれから思い出を作っていこうと思ってた矢先実家に戻ることになりまして,まだまだ彼との思い出は作れてないけど,大阪に帰ったらいっぱい思い出をつくれたらなって思ってます.まあ,最寄り駅を彼から乗り換えなければですが….石橋阪大前駅くんも魅力的なのよねえ.あのごっちゃとした感じが落ち着く.オトコゴコロは揺れ動きます.
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2022年04月09日

天神川駅

みなさん初めまして!
外国語学部2年の梅下です。2ゲキでは多種多様な部署を担当してきました〜。今公演では音響チーフと制作をやっております!触れたことのない業務が多いため、右も左もよくわからないまま突き進んでおります。

さて、自己紹介はこれくらいにしておいて、今回のテーマについて触れて行きましょうか。私の思い出の駅は広島にある天神川駅です!というか山陽本線と呉線です。

私は広島県出身で、広島のど真ん中に住んでいました。中高は、広島県全域から生徒たちが集まる学校に電車で通っていたので、6年間山陽本線とともに過ごしてきた、いや育てられたようなものです。1人で乗ることにそわそわしていた私はどこへやら、今では躊躇なく電車でひとり旅をするようになりました。

さて、そろそろ天神川駅について語りますね。なんと広島は市内(広島市のことです)以外は、本当に田舎なので、どこか遊びに行こうと思ったら必ず市内に赴く必要があるんですよね。広島駅を降りて、路面電車に乗って本通りにいくか、広島駅の一個前にある天神川駅を降りて、ソレイユ(イオンモール)にいくか。この2つが、さまざまな地域から生徒が大勢集まる母校生の遊ぶ方法でした。

ある秋の日です。確か中1の時ですが、人生2回目のソレイユを満喫していた帰りに事件は起きたのです。それは、電車の乗り間違いでした。よくあることですよね。ただ、これは逆の方向に乗ったとか、ホームを間違えたとかそんなんじゃないんです。なんと天神川駅では同じホームで山陽本線と呉線が発着していたのです!!!!これには1ミリも気づきませんでした。ただ車窓から見える、夕陽に照らされた海に感動していました。いやここで気づけよ!!山陽本線は山の中しか通らないだろ!!そのまま私はのほほんと、向かいに座っていた外国人女性の方と微笑みながら、目的地には絶対に辿り着かない電車に揺られていました。

しばらくの間うとうとして、ちゃんと寝る前にあと何駅か確認しようと思い路面図を見たその瞬間!ようやく何が起こっているか理解したのです。急いで降り、親に連絡し、車で帰りました。

このような経験が、天神川駅に乗るときの注意力向上、海は綺麗ということを私に教えてくれたのです。もちろん後者だけです。また山陽本線と呉線を間違えて乗ってみて、どんな気持ちになるのか試してみたいなと思いました。

長い文章に目を通していただきありがとうございました。今公演、大変面白くなっておりますので、どうぞご覧ください!
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2022年04月08日

朝霧駅

中村斗輝が語る「思い出の駅・路線」です。




私が運転免許を取ったのは、大学2回生を控えた春休みのことだった。
本当は夏休みの間に取ってしまうつもりだったのだけど、なんだかんだで先延ばしにしてしまい、結局教習所を出るころには期限ぎりぎりの状態になっていたというわけだ。
本試験のために、明石市にある免許センターに向かう。着いたのはお昼前だったが、そこから予約をし、試験を待ち、受験して結果を待ち、さらに長い列を作って写真の順番を待ち・・・とやっていたら、帰るころにはすっかり夕方になってしまっていた。
財布には作ったばかりの免許証。ぼさぼさの髪によれた上着の私がぼんやりした表情で写っている。当日中に写真を撮ると最初からわかっていたらもう少しまともな格好をしていたかもしれない、と思う。
それから、鞄の中につぶれた菓子パンが二つ。すっかり昼食を食べ損ねてしまっていた。
ちょっと寄り道して帰ろう。私は明石駅でバスを降りると、改札口には向かわずにそのまま海岸線沿いの道を歩き出した。

まもなく、右手に砂浜が現れた。大蔵海岸だ。明石海峡大橋と、対岸の淡路島がよく見える。
夕暮れ時で、ちょうど雲の向こうに日が沈んでいくところだった。
見晴らしのいいベンチに腰掛ける。砂浜には人影一つなく、海岸全体が息をひそめるように静まり返っていた。
時折、寄せては返す波の音だけが響く。
私は鞄の菓子パンを取り出すと、袋を開けて噛りついた。口の中に広がる甘ったるいカスタードクリームの味に、ふと、昔のことを思い出した。

実はこの海岸には一度来たことがある。
高校3年生の春の遠足。私の学校では旅行委員という、生徒10人ほどで構成される委員会が、遠足を含めた旅行全般についての意思決定を担っていた。
修学旅行の行先も、自分たちで話し合って決める。こちらは例年通り北海道に決まった。遠足も同じ経緯で、毎年の定番であるこの海岸に落ち着いたというわけだ。
その日も、特に変わったことをしたわけではない。海水浴には早すぎたので、砂浜でスポーツ大会に興じたり、近所のショッピングセンターで仕入れた食材でバーベキューを楽しんだりした。
高校3年生といえば大半の生徒が受験生だ。考えてみるとその遠足が、学校の外で学校の友人たちと羽根を伸ばした最後の機会だったように思う。
もちろん体育祭や文化祭といった学内行事には精を出したけれど、遠足や修学旅行だけがもつあの非日常感にとって代わることはできないような気がする。
そんなことを思い浮かべながら、私は菓子パンをほおばった。
そういえば、高校生の頃は学校帰りに通学路のコンビニで毎日のように菓子パンを買っては、駅のベンチで食べていたのだっけ。
菓子パンはあの頃と同じ味がする。けれど、それを味わう私自身はもう、かつての私ではない。
たかだか一、二年前のことなのに、私はなんだか、ずいぶん遠くまで来てしまったような気がした。

小さいころ、私は「子供」と「大人」の間にははっきりした境界があって、人間はまるで蝶が羽化をするように、ある日突然「大人」になるものなのだと思っていた。
大人はいつも忙しそうだった。社員証だの、保険証だの、クレジットカードだのと、何枚ものカードを持ち歩いては、難しい手続きをしてお金を払い、あるいは複雑な仕事をしてお給料をもらっていた。
幼虫の自分には全く理解できない世界で、大人たちは何かのために頑張っていた。その何かもまた、羽化をすれば分かるようになるんだろうと私は想像していた。
そして今日、私は免許証を受け取った。これも立派なカードだ。これで難しい手続きができる。あるいは、車を運転して仕事場に行き、お給料をもらうこともできる。

では、何のために?
結局、それはわからないままだった。
何もわからないまま、私は面白みの欠片もない問題集の内容を頭に叩き込み、マークシートを塗りつぶし、長い列に並んで写真を撮って、免許証を受け取った。

これが、「大人になる」ってことなのかな。
私はなんとなく、そう思った。
知らない間に羽化をして、子供と大人の間にかかる橋を渡りきってしまった。
視線を上げると、対岸の淡路島はいつの間にか、闇の向こうに姿を消している。
二つめの菓子パンを食べ終えるころには、辺りはすっかり暗くなっていた。

大蔵海岸の最寄りは、明石駅ではなく、その隣の朝霧駅という小さな駅だ。
島式ホームを歩道橋でそのまま一段高い地上改札につないだ無駄のないデザインが、私はけっこう好きだったりする。
疲れた足で階段を下り、猛スピードで通過していく特急車両を横目に見ながら、ホームのベンチで各停を待った。
思えば、「朝霧」というのもなんだか神秘的で、素敵な名前だ。
いつか、朝日が昇る前にここに来てみよう。
夜に浮かび上がったような駅のホームで、私は、そう心に決めた。

* * *

あれから、かれこれ三年が過ぎようとしている。
結局、朝の朝霧駅には行けずじまいになっていた。
けれど、あの日見た明石海峡大橋の姿は今でもはっきりと心に残っている。
その面影がある限り、私は何度でもあの場所に帰ることができるだろう。
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2022年04月07日

ハウステンボス駅

こんにちは、新4回生の藤原です!
新歓公演『電鉄』にちなんで、私の思い出の駅であるハウステンボス駅について書きたいと思います。
長崎県のテーマパーク「ハウステンボス」の最寄駅で、レトロで小さなかわいらしい駅です。中学生の時に長崎に住んでいて、何度か電車でハウステンボスに行っていました。当時の私は滅多に電車に乗ることがなかったので、電車でハウステンボスに行くこと自体が非日常でドキドキしていました✨駅を出て橋を渡ると、目の前にハウステンボスのホテルが見えてテンションが上がったのを覚えています。
今では電車に乗るのもすっかり日常になってしまいましたが、たまにはあの頃のようにドキドキしながら乗りたいなあと思っています。素敵なところなので、皆さんも機会があれば是非行ってみてください!
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2022年04月06日

山陰本線

こんにちは、最近2度目の就職活動が始まった橋本舜祐です。
近況の身の上話はあまりせず、本題に入りましょうか。「思い出に残っている路線」ということで、まあ幼少期からお世話になってる阪急宝塚線は多分他の誰かが書くのかなと思うので、あえてスルーします。
印象に残った路線、駅は沢山あります。2劇1の鉄オタ(自称)なので乗った路線量は一番多いんじゃないかなと勝手に思ってます。その中でも昨年行った和歌山の紀勢本線、ギリギリコロナ前に行った篠ノ井線の姨捨駅、現在は第三セクター化された北陸本線金沢直江津間をJR最終日に豪雪の中カメラ片手に18切符で駆け抜けたのも良い思い出です。

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しかし、一番思い出に残ってる路線はやっぱり山陰本線でしょうか。
幼少期の週末、毎週特急北近畿(現こうのとり)に揺られて二時間半、母の友達がいる兵庫県豊岡市に通っていた時代がありました。毎週特急に乗れるというと今考えると恵まれた幼少期だったなと思います。
豊岡でした経験は数知れず、地元のお祭りに参加したり、雪遊びをしたり、ラジオ体操に通ったりetc…
そして頭の中で車窓を暗記するくらい乗ったあの列車は、幼少期の私にとっては、大都会の喧騒と田舎の静寂を結ぶ魔法の列車だったんだろうなと思います。
一昨年、数年ぶりに旅行でその区間に乗りました。思い出の中の風景は、コンビニが乱立していたくらいにしか変化はありませんでした。しかし、それでいて記憶の中より建物が色あせていて、20年という時の流れを痛感したのでした。

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最近卒論やらエントリーシートやらで論理的な文章ばかり書いていたので、たまには思うがままに散文的な書き方するのも楽しいですね。
それではまた
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